登山道整備
ひさしぶりに「登山道整備」に関われるシーズンです。
私の大雪山とのつながり、ガイドへのきっかけとなった
「旭岳パークレンジャー(保護監視解説員)」時代も、
ぬかるみの多いところへ、木道を運んだり、崩れやすい箇所があれば、
沢から石を運び、水の流れを想像して
自然に見えるように組むという作業をしていました。
その頃は、「管理する者」側の意識が強かったように思います。
今は、ガイドとしてゲストを連れて利用する立場、
自分で登山を楽しむ利用者としての立場、
そして、大雪山の未来の自然を考える年ごろ(笑)、
の要素も関わり、登山道整備(笹刈り)に関われることで、非常に良い経験をしています。
どうしても、登山道整備だけをしていると、登山者や自然のことを考えつつも、
どんどん、直すことに集中してしまいます。
登山者の歩きやすさを考えると、山らしい道が、どんどん人口的になっていきます。
そのバランスが、難しいな~と考えさせられました。
笹に関しては、温暖化と共に増える一方で、登山道を完全に隠してしまいます。
貴重な高山植物も覆われて、失われていきます。
なので、笹刈り整備は必要かと、個人的には感じていますが、
歩きやすいように、と、どんどん組まれていく、木道関係は、どうでしょうか。
「登山道整備」と聞くと、とても良い活動をしているように聞こえますが、
本当に、自然環境の保全と登山者の利用を、バランスよく整備する、というのはとても難しいことだと感じています。
そして、登山者個人差にもよります。
「笹刈り」を「してほしい」人と、「しなくてよい」人がいます。
「ぬかるみ」を「なくしてほしい」人と、「あってもよい」人がいます。
今回の笹刈りで、ずっと大雪山に関わっている尊敬しているガイドさんが参加されていましたが、
同じ考えで、何もかも刈ってしまうこと、整備することが決して良いわけではないと、お話されていました。
ぬかるみなんかは、日常では体験できない感覚なので、そうゆう「ぬかるみを歩いて沈む」感覚など、
山ならではの体験だ、、と。
笹などは、刈っても、数年すれば、伸びてしまうことでしょう。
ただし、人工的に組んだ木道や丸太などは、劣化していくだけで、もとの自然には戻りません。
山って、やっぱり「自然」らしいから好きなんですね。
そして、私は、静かな山が好きです。
熊や遭難の心配があるから、人がいっぱいいる山や日に行く方もいますが、
やはり、少し「ドキドキ」する山行の方が、
登山を終えた時の充実感や喜び、そして、日常に戻れる感謝など沸いてくるのでは、と思います。
最近は、私も「ガイド業」意識が強く、山に関わってきたことを省みています。
自分の登山ガイドスタイル含め、一度、我を考えなおすきっかけの笹刈り6日間でした。
そして、久しぶりにガイド時以上に、担ぎ、、、まだまだ、「大丈夫」でした。